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Channel: ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))
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4/20日 藤原岳を孫田尾根から聖宝寺まで その7(最終記事):下山。聖宝寺と鳴谷神社にお詣りしてから、街道歩きして帰着。

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五月なると、新しい何かが始まりそうな予感がします。
それはきっと良い方向の潮流であってほしいものです。

今回の記事で藤原岳のシリーズは終わりになります。

〇〇チャルメルソウ ↓

これがそれに該当するかどうかについては、花が開いていませんので判りませんが、このあたりにタキミチャルメルソウというものが生育しています。
その名前の由来は、これから通る聖宝寺のすぐ近くに鳴滝という滝があって、そこで発見されたことによるそうです。
お寺さんの山号は鳴谷山 聖宝寺(めいこくさん しょうぼうじ)と言います。



ミヤマキケマン ↓


ムラサキケマン ↓

こちらの道でも黄色と紫色が相次いで出てきました。



ハクサンハタザオ ↓

これはスックと立ち上がっています。



ヒトリシズカ ↓

下に下りてくるとさすがに花が進んで、こちらでは実を作っています。


イチリンソウ ↓



イチリンソウの花が上品に優雅に出迎えてくれました。
山の急斜面で、ちらほらとその姿を見ることができました。



チドリノキ ↓

イチリンソウを撮りながら、ふと上を見上げると、カエデの仲間がプロペラ(翼果)をつけていました。



ヤマブキ ↓

深緑の緑色の中に鮮やかな黄色の花を見せています。



小滝とヤマブキ ↓

引いて写します。小滝のそばでヤマブキは咲いていました。



〇〇ダム ↓

数年前にこの登山道が通行禁止になるほどの土石流が発生し、谷の形状も変貌してしまいました。
こんなところに恐ろしいほどデカイ建造物が出現しました。



水場 ↓

そのダムの基礎部分まで下って行き、流れを跨ぎます。ここで水を頂き、ペットボトルも満たします。



登山届出所 ↓

ここにきて、下山ということになりましょうか。街道に出るまでにはもう少し石段を下らなければなりません。



鳴谷山 聖宝寺 ↓ 

比叡山延暦寺を開山した伝教大師が布教のためにこの藤原岳の岳麓に建立したお寺さんだそうです。
ここにお参りをして行きます。



漢詩の石碑 ↓

石碑にはとても難しくて、字を読むことも意味も判らない漢字が駆使してありましたが、題は「鳴谷の瀑に題す」 意味するところは:
鳴谷の滝を銀河にたとえて、滝水の音を雷鳴に対比させた漢詩だそうですが、あまりにも難しい言葉の羅列で、石碑を見ただけでは全く意味が分かりませんでした。

なお鳴谷の瀑とは、くだんのタキミチャルメルソウ第一発見の地となります。



養鱒場 ↓

山の中に養鱒場があります。これも山から水を豊富に引けることに拠ることなのでしょうね。
ここから石段下りをします。高度差は80メートルほどはあろうかと感じました。



テンナンショウ属 ↓

石段の途中で、テンナンショウ属の渋い色の花が出てきました。



鳴滝神社 ↓

聖宝寺の守護神としてお祀りしたのが始まりと聞きます。
ここで特筆すべきことは神社のお守りが狛犬ではなくて「狛猿」であるということです。
「猿」という言葉には、「魔が去る」・「勝る」・「見ざる」・「聞かざる」・「言わざる」と、
さらに、 恨み、怒りなど「思わざる」などの大切な意味が込められているそうです。
門前で山靴から街道歩き用にズックに履き替えます。



街道歩き ↓

ズックに履き替えて足取りも軽く、街道を歩きだします。



これが駅舎 ↓

この建物が西藤原駅の駅舎でした。中に入り、電車の時刻を見ると、ちょうど良い時間のものがありましたが、それで車を置いたところまで戻ると、名古屋の交通渋滞時刻に入ってしまいます。
そんなことから電車には乗らずに歩き通すことにしました。



東藤原駅着 ↓

山から下りてズックに履き替えて歩きだしてから70分後に戻ってきました。時刻は18時丁度でした。
ここでもストレッチや荷物のまとめなどをして時間を稼ぎ、上手い具合に名古屋の渋滞を避けて家に戻ることができました。

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